畳は ただいま 進化中! | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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![]() お水取り 東大寺 二月堂 修二會 2014年1263回 修二会 二月堂 御正体
今年も修二会の御壇供(おだんぐ)を権処世界のお役を務められた 新薬師寺の定慧師が当方まで 持参して戴きました 誠にありがたく 感涙しました 国宝 新薬師寺(新たかな薬師寺)中田定観師と根本香水
今年は河内仲組の中で額田が当番でしたので 観覧席には行けず入堂口で撮りました i ![]() 奈良東大寺二月堂の修二会(お水取り)に無くてはならない板草履を復元し奉納 作る人がいなくて困っている 「何とかしてほしい」と頼まれ作りはじめて8年目 もう止めようと思っていました。 ![]() ![]() 新(あらたかな)薬師寺の定彗師からお話を聞き 新たな作り方に気付きました。 本年の新薬師寺修二会に履いて頂くために 昨年6月から製作を始めました 見た目は変わりませんが 製作方法が違います 新しい方法で製作した「板草履」11足を定彗師に手渡し奉納致しました 定観師よりお手紙を頂きました 年に2日300mも歩きませんので本日より 庫裡で使用させて頂きますとの事 修二会に関するCDを頂きました 4月9日除災招福新薬師寺御尊影とお壇供を定彗師が持ってきていただきました。 今年のお松明 板草履と差し掛けを混同される方がおられますが別々の履物です。 東大寺や新(あらたかな)薬師寺でお履きになる板草履は板つけ草履 ではありません。 二月堂へは何時行っても青天 大仏殿をチョット横から 二月堂から ![]() 板草履を手掛けて早8年 現在板草履を製作する者は私一人で手の動く限り作って 当方で貯めておきたいと思っていますが善し悪しのお言葉ひとつなく 誠に寂しい 想いで作っていますが、時々なんで自分が作らねばいけないのか虚しい時があります。 作っても 作っても同じこと いっそここらで 止めてみようか 板草履作りは、止めようかと考えていますが決心がつきません。 嶺雲
国宝 新薬師寺 修二會 新(あらたか)薬師寺 新薬師寺(あらたかなやくしじ)の修二会用に製作しています。 新薬師寺の修二會(お松明)は4月8日午後7時ごろからです 松明は参拝者の前を通られますので二月堂の様に上を向くことなく松明に足元を照らされて入堂される僧侶のお姿を眼の前で拝めます。 桜の花を愛でながらのお松明は また格別の有難さです 南無 熊本産のビーグ表用のイ草で作る 板草履熊本のビーグ草に変えて作る事にしました 先と根本がカットされていますが 長さが非常に長く草は太くて青く大変綺麗なイ草で 気に入りました 根元の黄色い部分もあえて使用します みためより丈夫さを最大限に! 板草履複元について 岩滝山往生院六萬寺にて展示の際の説明文 東大寺二月堂 修二會(お水取り)板草履の復元 毎年3月1日から始まる修二會(お水取り)の行事に無くてはならない板草履の復元を始めて早8年が過ぎましたが、まだ未完成で行き着く先が見えません。 作る人が無く困っているので、是非作ってほしいと当時上院(二月堂)の院主をしておられた平岡昇修お上のお話に深く考えもせず作ってみましょうと言ったばかりに大変しんどい事を背負い込んでしまいました。 再現する為に現物を貸してほしいとお願いしたら、見せる事は出来ても貸し出す事は出来ないとのお言葉に、それでは作る事が出来ませんので国宝新薬師寺よりお借りし、それを手本に作り始めましたが見事に失敗.、この失敗は現在大変役に立っています。 日本の履き物である下駄や草履は今では履く人が少なくなって来ていますが、 よく考えられた履物である事が身にしみて良く分かりました。 板草履の上の部分になるイ草は広島・岡山・熊本各県の最高級のイ草を毎年変えて使用、平成20年はは岡山県中栗坂の栗坂正さんが作られた最良のイ草を使用、藁草履の藁も厳選し平井義継ぐさんに編んで頂来ました。 年に一度の修二会であり 参籠僧が大松明に足元を照らされて本堂へ登堂される時と食堂作法の時以外はお履きになりませんので 毎年作る事はないのですが作れる者は私一人ですので手の動く内は作る覚悟ですが 時々止めようとの思いが脳裏をかすめますが 未来永劫に続く修二會を考えると 何方か奉納しようと思われるお方が現れる事を信じています。 国宝新薬師寺へも奉納 一足作るのに3~4日掛りますので大変ですが観世音菩薩様が見守って下さっていると思えば元気も出ますしあらゆる病魔も取りついて来ないだけがうれしい事です。 合掌 嶺雲 義一
NHK板草履製作過程を全国放映されました 「お元気ですか日本列島」で全国放映 修二会(お水取り)に無くてはならない板草履の再現に取り組んで5年1257回修二会 板草履奉納はNHK奈良放送局の取材を受け全国放映されました。 当店の4人に加え、枚方市の大倉畳商店大倉健司さん・枚方市の尾崎畳襖店の尾崎富彦さん 平野区の田伏製畳の田伏孝一さんの三人の若手が、手伝いに来てくれましたが3人が カットされての放映でした。 2月21日午後2時 別火坊(戒壇院)で奉納しました 関西ニュース一番でも放映されました。 新薬師寺の新は「あらたかな」と言う意味、 国宝新薬師寺の修二會は毎年4月8日 新(あらたかな)薬師寺には12神将がおられます 私を守って戴いているのは毘羯羅(びぎゃら)大将(国宝天平時代)です 今まで奉納した板草履が傷んだ場合の予備を製作し保管しておきます 南無
神様と御仏様に守られて 平成19年 元日午前0時 河内の国一之宮(元官幣大社・元春日)枚岡神社へ参拝の後の 初夢に大きな大きな観世音菩薩様のお膝元で無心に 観音経を唱えている 己が姿を夢に見ました 南無観 一足作るのに 三~四日掛かりますが 無の心 空の世界の中にいて 脳裏をかすめるのは 声明と大松明の炎のみ 日の丸盆を賜りました。
東大寺二月堂の修二曾に際し、行法に参篭(さんろう)される僧侶が食堂(じきどう)で一日一食の正食(せいじき)に用いるお盆があり、二月堂練行衆盤と云うが、表面をすべて朱漆で塗る丸盆であるところから、俗に日の丸盆と称せられている。 現在、東大寺でもっとも古く伝来しているのは、裏面に「二月堂練行衆盤廿六枚内永仁六年十月 日漆工蓮仏」の銘のある鎌倉時代のもので、現在十一枚が現存し、重要文化財に指定されている。 本品はこの鎌倉時代の日の丸盆を輪島塗りで特別に複原製作したものである 東大寺 板草履の復原 修二會に無くてはならない板草履を何とか復原しようと頑張っています。 国宝東大寺二月堂や国宝新(あらたかな)薬師寺の板草履を作ったお方をご存知の方は、ご一報頂けませんか? 本堂に上がられる足元を照らす松明ですが、本堂へ昇られる練行衆(僧侶)が、履かれるのが、板草履で、イ草を編んでつくり、底に藁草履を縫い付けた物で、「作る人が無くて困っている、なんとか作れないか」とのお言葉で、イ草で生きる者として、分かりましたと返事をしましたが、見た事も聞いた事も無い物で、国宝新薬師寺より古い板草履をお借りし再現に取り掛かりましたが大変苦労しました。 平成18年の修二會に練行衆11人の板草履11足を作りましたが、自分としての出来は100点の内10点程と思っており、平成19年度用は平成18年12月より製作を初め2月21日別火坊で森本管長様(当時)・平岡上院院主様(当時)他多数の参篭僧侶立会いの下に11足奉納。 平成21年の修二會用の板草履は練行衆用11足と別に3足 計14足奉納しました。 22年製作した板草履は新入り僧用に当方で保管しております。 何年か先には、本物が完成すると思いますが、大変な作業で、時々止めようと思ったりします。
参籠僧の家紋が入る 上堂と食堂作法の時以外はお履きにならない
板草履の上面 イ草一本一本を編んで行きますが始めは、片足編むのに丸一日朝から夜中まで 掛かり、持ったまま眠る日が続きました。 何とか慣れてきても、一日に片足と半分しか編めません。 鼻緒と草鞋を付けて完成するには3~4日掛ります。 最良のイ草を選択し、藁も最良の藁で作っています。 1262年前に誰が何故このような形を考えて作ったのか、その人に聞いてみたいと思います 夢の中にでも出て来て欲しいと思いながらの毎日です。 昔の人の技の凄さをつくづく感じさせられました。 差しかけの表取り替え 差し掛けも張り替えをたのまれました。 鼻緒はプロの方に助けて頂きました。
新調の差し掛け午王櫃の新調
![]() 板草履と聴くと木の板で作った物かと思いましたがイ草と藁で作られていました。 芥川龍之介さんのトロッコに出てくる板草履とは別のものです これを作られた方に、お会いしたいと思いますが,何時の時代に作られた物かも分か らないので、無理な話ですね!年に一度しか履かれないので、今日迄もったのです。 2007年の新薬師寺の修二會(4月8日)には二月堂と同じく11足を作り3月26日奉納、何十年振りかで、昔の修二會の姿に還りました。 百年以上持つと思いますが、作り方を後世に残したいと願っています。 ![]() 新薬師寺の おたま地蔵尊様に禮拝、お丁寧な説明をして頂き、12神将まぼろしの 色彩を追って{天平のバザラに会いたい」のCDを頂きました 合掌 お水取り 由 来 二月堂は実忠和尚じつちゅうかしょう の草創で、修ニ會の行法は、実忠和尚が笠置山 の龍穴で菩薩達の行法を見てその素晴らしさに打たれ、この地に移したものとされています 大仏開眼供養の行われた天平勝宝4年(752年)に始められたとされ、以来一度も途絶える事なく続いています。 平成25年で1262回目になります。 3月12日の深夜(正確には13日の午前1時45分頃)に、閼伽井屋(あかいや)の中にある若狭井(わかさい)から、本尊に供える お香水(こうずい)を汲み揚げることからそうよばれます。 その由来は昔、実忠和尚が十一面悔過法要に、全国の神の名を唱えて勧請した時、 若狭の国の遠敷明神(おにゅうみょうじん)だけが、遠敷川で魚を取っていた為に勧請に遅れたので、その責任を取って明神が、「遠敷川から水を送る」と言い,お祈りをしたところ、地中より二羽の黒白の鵜が飛び立ち、そこから聖水が湧き出したとの事です。 竹送り(寄進竹) 修ニ會に使われる「お松明」の根付きの竹の掘り起こしと、二月堂への竹送りが山城 松明講(講社長 松村茂氏)の方々の手により行われてきました。 早朝より松明講の方々が周囲30cm以上もある真竹を根付きで掘り出され普賢寺 大御堂観音寺 (国宝 十一面観世音菩薩様安置)で道中安全祈願の 読経と法話の後、山城松明講、講社長松村茂氏の、 お手により真竹に「二月堂」と祈願の文字が墨書された後、 東大寺二月堂へ運ばれました。 大御堂 観音寺 (同寺の略縁起より抜粋) 1300年前、天武天皇の勅願により義淵僧正の開基で良弁僧正の高弟で、奈良の 「お水取り」を始められた。実忠和尚を第1世とするお寺で、御本尊十一面観世音 菩薩は天平16年(744)に安置されたもので、この十一面観音さまは、四種功徳、 十種勝利と申し我々の苦難をお救い下さる観音様のうちでも特にすぐれたご利益が お経にとかれ、常に我々と共にあって、無病息災と不時の災難をのがれさせ、種々の 祈願を成就せしめるとの御誓願であります 山城 松明講 大松明を作る竹の切り出しと 二月堂への竹送り岩滝山 往生院 六萬寺のご住職が 板草履製作過程を本にされました「民具歳時記」 |
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卓越技能章(現代の名工) ・ 黄綬褒章・ 技能顕功章 なにわの名工若葉賞・ 畳マイスター認証 畳アドバイザー |
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